ブラックボックス

午前9時起床。


朝食は、パンと、トマトとキュウリのサラダと冷汁。
前夜のW杯ベルギーVSフランス戦を朝方まで見ていたため
寝不足で、二度寝。昼頃起き、シャワー。


フランスのエムバペ、間違いなく才能あるのだろうが、
10代で百億以上の金を手にし、フィールド上ではあのしたたかさである。
マンチェスターユナイテッドの監督だったアレックス・ファーガソン
ならなんと言うだろうか。実力も知名度もある先達が、厳しくも
あたたかく諌めてやらないと、あたら若い才能を早枯れさせる
ことになりはしないか。


午後、ドトールでYさんと会談。
地域での映画製作についてや、映画のよもやま談義をする。


Yさんと話していて感じたことは、
「地域での映画製作を、プロ側だけのブラックボックス
入れてはいけないのでは…」ということである。
都市部の映画製作会社が主体となり、地方ロケで作られる作品なら
別に構わないだろう。地方は基本、ロケ地として協力するだけだから。


しかし、「地域発」「地域と連携して」「地域の人々の想いから」
と謳っている作品が、内実は従来通りのやり方では、それは
地域の人々に対して、また観客に対して、ある種の裏切りのような
気がしなくもない。
「この映画は皆さんの町の皆さんの映画です。ついてはいくら
かかります。みんなで集めましょう」
必死に予算を集めて、撮影間近になるとプロがやってきて、
「あとはプロに任せて。皆さんは予算の足りない分を集めてください」
では、やはりちょっと寂しい。


確かに、映画製作は専門的な経験・技術・知識の集合体で、
各分野に習熟したプロがギリギリのところで現場を進めている。
内容のことは、プロを信頼するのが一番であるということに異論はない。
せっかく作る映画のクオリティは絶対に下げたくはない。


ただ、そのプロが雇えているのは地域側が必死に集めた予算であり、
地域側が雇い主とも言える。この場合、映画製作をプロだけの
ブラックボックスに入れてしまうのは、やはり違う気がする。


最初にプロ側が予算を決め込んで、予算ありきで地域で製作する
のではなく、地域の人々と予算策定から密にやりとりし、
そうして決まった予算規模と乖離しない内容・クオリティを見定め、
製作に入るのが良いかもしれない。
映画製作をブラックボックスに入れることでクオリティを担保する
のではなく、とことん話し合って、理解を深め合いながら、
一本の作品を作る。この予算規模ならここまでやれる、
などと話し合いながら。


夕食は妻と桐乃家。
僕はカツ丼セット(カツ丼とミニうどん)。妻はキツネうどん。
カツを2切れ妻にあげる。


その後、一人コメダへ。ノートPCを持ち込み、新作映画への
英語字幕貼り付け作業を進める。


伊藤 有紀